
もし宇宙のどこかに知的生命体がいるとしたら、
戦争ばかりしている地球人のことをどう思うでしょうか。
広大な宇宙の中で、同じ星に住む者どうしが争い続けている。
その姿は、きっとずいぶん奇妙に見えるのではないかと思います。
カール・セーガン博士の著書『COSMOS』は、私にとって特別な一冊です。
1980年の刊行からすでに45年以上が経ちましたが、私はこの本をこれまでに10回以上は読み返してきました。
その中でも、特に心に残っている一節があります。
「手のひら一杯の砂の中には、およそ1万粒の砂がある。これは、晴れた夜に肉眼で見える星の数よりも多い。しかし、私たちが夜空に見ている星々は、宇宙に存在する星のほんの一部にすぎない。目に映るのは、極めて近くにある星だけなのだ。」
私たちが見上げる夜空は、美しく壮大ですが、実際には宇宙のほんの一端にすぎません。
宇宙には推定で1000億個の銀河があり、それぞれの銀河には平均して1000億個の星があると言われています。
つまり宇宙には、地球上のすべての浜辺や砂漠にある砂粒の総数をはるかに超える数の星が存在しているのです。
その広大さと豊かさは、まさに人間の想像を絶するものです。
カール・セーガン博士が原作を手がけた映画『コンタクト』には、こんな印象的なセリフがあります。
「もし宇宙に、私たちしかいないのだとしたら、それはずいぶんとスペース(空間)の無駄遣いだ。」
(If it’s just us, it seems like an awful waste of space.)
この言葉には、“space”という語に込められた二重の意味が重なっています。
広大な宇宙空間と「空き」という意味です。
宇宙がこれほどまでに広く、多様で、深淵であるにもかかわらず、そこに知的生命体が私たち一種しか存在しないとしたら、それはあまりにも「もったいない」。
そんな深い問いかけが、軽やかな一文に込められています。
セーガン博士は、生涯をかけて地球外生命の可能性を語り続けました。
同時に、この地球という惑星が、数えきれない偶然の重なりの中で誕生した、極めて特別な存在であることも強調しています。
私たち地球人は、まだ他の星の生命体と出会ったことはありません。
もしかすると、この宇宙で生命を育んでいるのは地球だけなのかもしれません。
そう考えると、私たちの存在はとても貴重で、守るべきものだと強く感じます。
それにもかかわらず、人類はいまだに争いをやめられません。
文明がどれだけ進歩しても、歴史は戦争の繰り返しです。
どれほど悲惨な体験をしても、私たちはそこから十分に学ぼうとしていないように見えます。
かつて戦争の惨禍を深く経験した日本でさえ、また「戦争のできる国」へと変わろうとしています。
――もし本当に、生命が存在する星がこの地球だけなのだとしたら、なおさら私たちは、もっと謙虚に、もっと丁寧に生きるべきではないでしょうか。
この記事を書いたのは、もうずいぶん前のことです。
しかし今、世界ではまた新しい戦争が始まっています。
人類は宇宙を語る知性を持ちながら、いまだに争いをやめられません。
宇宙の果てを探ろうとしている文明が、同じ星の上で争いを続けている。
戦争ばっかりしている地球人は、きっと宇宙人の笑い者です。
