私がサーフィンを始めた頃の鴨川では、
波が小さい日のことを
「ア~ンモナイト」
とか
「波無し芳一」
なんて言ったりしていました。
要するに、
どうにもならないくらい波が小さい日です。
正直なところ私は長い間、
「耳にお経を書くのを忘れて、耳を持っていかれた人」
くらいの雑な理解しかしていませんでした。
先日、友人から突然
ラジオ深夜便の「耳なし芳一」のリンクが送られてきたので、
せっかくだから少し勉強してみました。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談ですが、
改めて読むと、意外とちゃんとした教訓があります。
ひとつは
見えない世界への敬意と慎み。
人間の理解を超える世界に、
軽い気持ちで関わると
ときどき大変なことになる。
これ、シェイプをしていても
似たようなことがあります。
「理屈はよく分からないけど、
なぜかすごく調子がいい形」
というのもあるし、
「これは最高だろう」と思って
少し手を入れたら
見事に最悪のボードが出来上がる
ということもあります。
人間が理解していることなんて、
案外そのくらいの範囲なのかもしれません。
もうひとつの教訓は
細かいところをナメると痛い目にあう。
和尚は芳一を守るために
体中にお経を書いたのですが、
耳だけ書き忘れる。
そして結果は
そこだけ見えていたので
耳だけ持っていかれる。
ここだけ守りが無かった。
サーフボードも、実は似ています。
どんなに全体の設計が良くても、
一箇所だけラインがつながっていないと、そこに全部出る。
小さな見落としが、
大きな結果を招く。
これもシェイプをしていると
よく感じることです。
ボードは
アウトラインや長さだけで決まるわけではありません。
レールの落とし方、
コンケーブのつながり、
ほんの少しのラインの違いで
乗り味は大きく変わります。
大きな設計が合っていても、
最後の細部が甘いと
そのボードは別のものになってしまう。
サーフボードは、
大きなコンセプトと、最後の数ミリの仕上げの両方で決まります。
守りは完璧だったのに、
最後の詰めが甘いと全部持っていかれる。
なんだか
リーシュ確認してない日に限って
一番沖で切れるやつみたいです。
ふざけた名前ですが、
元の話は意外と深い話でした。
大きな失敗というより、
だいたいは小さな見落としから始まるのかもしれません。
「波無し芳一」というふざけた名前の日に、
そんなことを少し思いました。

